エグゼの物語11月になりました。思い出します。 ちょうど1年前、11月の寒い日に 1匹の猫がまたあたらしく我が家にやってきました。 エグゼと名付けられたその猫は、東京は赤坂という都心の一等地にある ビルのうち外で生きていた猫でした。 エグゼをよく知る方たちの回想によると、 8年ほど前、エグゼは突然そのあたりに現れたといいます。 はじめからヒトをそう怖がる様子もなかったその猫は まもなく、赤坂近辺に住む、また働く人たちにかわいがられ 数人の方たちによってお世話されるようになりました。 おそらく、飼い猫の捨て猫だったと思われるエグゼ、 あまり他の野良猫と親しくする様子もなく ただただ人間に頼り、不特定多数の人間にかわいがられて ある大きなビルの周辺で生きていくようになりました。 餌は、数人の篤志の方たちが面倒を見てくださり 夜は、そのビルのロビーに入れてもらっていたようです。 でも、朝になるとちゃんとロビーから出ていたといいます。 なんとなく、追われることもありそうなのを感じていたのでしょうか、 あまり迷惑をかけないようなかたちで賢くうろつき、 道ゆく人や、職場が近辺で毎日通る人たちにかわいがられ いろいろな呼び名で呼ばれて、寒い冬は猫ハウスや発泡スチロールの箱を 家がわりに作ってもらっていました。 そんなエグゼが、ある若い女性の目にとまり その方の強い意志とあたたかい心で なな猫ホームに保護されることになりました。 健康検査・ワクチン・駆虫・避妊処置などを済ませて エグゼは我が家の預かり猫になりました。 うちに来た当初、もしかしたら産まれて初めてだったかもしれない、 ホットカーペットのあたたかさに骨抜きになり[笑 それまでも、ちゃんと外でごはんは与えていただいてはいましたが 家の中で、たくさんの猫たちと一緒に喧嘩したり逃げたりしないで食べることを覚え また共同トイレを使うことも覚えました。 それまで、暑さ寒さの苦労はあったとはいえ、10年近く自由に暮らしてきたエグゼでしたが、 狭い室内でたくさんの猫たちと暮らし もう外には自由に出られないという生活状態も学びました。 なな猫ホームのボスである、サビ猫の奈々にも仁義を払い[笑 ほぼ同時期に保護されてきた、白三毛のあやめちゃんとも つかず離れずで暮らせるようになりました。 だいすきな定位置はオヤジの腹の上で、 ほかの猫たちとも仲良く暮らせるようになりました。 いつもの世話係、かおるは何度もエグゼにたたかれつつ[苦笑 それでもめげずに近づいて、一緒に座れるようになり、 たたかれようがナニされようが気にしないタイプの桃とは、 こんな2ショットも見られるようになりました。 今年の春は、はじめての桜の下も歩きました。 もちろん、なな猫ママのことがだいすきだったエグゼ。 その感触は、いまもわたしの腕のなかに残っています。 そんなエグゼに、ついに里親さんが決まりました。 ずっと、赤坂に居た頃のエグゼの世話をしてくださっていた方です。 エグゼをずっと、見ていた方で、なによりの里親さんでした。 いつもそうですが、幸せになれると信じていても別れの日は辛くて ボスの奈々まで、「元気でね」と別れを惜しんでいるようでした。 そんなエグゼが、里親さんのお宅で慣れる間もなく 長年もっていたらしい病気が発症してしまい 何ヶ月もしないうちに亡くなってしまいました。 食べられなくなったエグゼに食べられそうなものを工夫したり 何度も病院につれていってくださった里親さんは、 エグゼの最期を腕に抱いて看取ってくださいました。 11月になって、ああ、エグゼが来て、あれから1年経ったのか、 エグゼは死んだのか、 こんなことをこころに浮かべてしまいました。 10年の日々を、ほぼ野良として たくさんの人たちの情愛に支えられて暮らして生きてきた、 こんな、エグゼという猫がいました。 いっしょうけんめい生きていた小さな、老いた猫でした。 あたたかい人の手で保護され 最期は、「おかあさん」と呼べる人に抱かれて眠りにつきました。 病院の待合室で、だっこされて亡くなったエグゼは きっと、「おかあさん」と呼んでいたのだと思います。 皆さん、よかったら思い出してやってください。 こんな、エグゼという猫がいたことを。 |